幸福な時間を増やしたい。
1日の起きている時間は16時間ほど。その時間は、幸福の時間、投資の時間、役割の時間、浪費の時間に分類できて、幸福の時間を増やすことを「時間磨き」と呼んでいます。柿内尚文さんが書かれた「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」より。
でも、そもそも幸福って何だったのだろう?
幸福って何なのか、ここではアリストテレスの言葉を参考にして、私なりに考え方を整理してみたいと思います。みなさまの幸福のために少しでも役に立てれば嬉しいです。
幸福は、楽しみと、得意なことを活かすこと
古代ギリシャの三大哲学者の1人、万学の祖ともいわれるアリストテレス(紀元前384年から322年)は、幸福は、自分の楽しみ(快楽的幸福)、得意なことを活かす(社会的幸福)、真理の追求(観想的幸福)に分類できると考えました。
どの幸福も、しっかり味わい、幸福に満ちた人生にしたいと思います。
楽しいことをして幸福になる(快楽的幸福)
自分が好きな楽しいことをするのは幸福です。旅行したり、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、映画を見たりすることは、とても大切です。
楽しみを持って生きていくことは、人生を豊かにします。
このような幸福をアリストテレスは快楽的幸福と呼びました。
この時間は、時間を4種類(幸福、投資、役割、浪費)に分類するとした時の、「幸福の時間」です。
楽しいことを予定しておくと、その楽しみのために、朝起きた時、「あと何日で楽しい日が来る!」と思って、明るい気持ちで起きることができます。
早起きが苦手な人でも、旅行中なら、旅先の宿で早起きして、散歩してみたくなることもあります。
この手の幸福の多くは、お金がかかることです。しかし浪費や消費とはちがい、人生を豊かにするために必要な「幸費」と位置付けて、うまく計画したいと思います。
一方、快楽的幸福は、楽しみのイベントが終わると無くなってしまうと、幸福感も下がってしまいます。幸福度が下がらないようにするには、そのイベントの振り返りをしましょう。写真をとって整理したり、日記を書いたり、ブログを書いたりして、幸福だった時間を味うことも大切です。
楽しみのイベントが終わったあと日常に戻った時は寂しさを感じてしまい、次のイベントを計画したくなります。
しかし、次のイベントを計画しても、何度も同じ楽しみをすると慣れてしまって幸福に感じにくくなっていきます。もっと楽しいことを、もっとたくさんしたいと思うようになって、キリがなくなることにも注意しないといけません。同じイベントは年に一回と決めておくくらいが良いかもしれません。
快楽的幸福は、幸福の時間を楽しみにし、人生を豊かにしていくもので、幸福な人生のために必要です。よく考えて、過不足なく計画し、早めに予定を入れて長い間、楽しむのがよいと思います。
得意なことを活かして幸福になる(社会的幸福)
自分が一番得意なことのレベルを上げて、それを活かして役割を果たすことで、幸せだと感じることができます。
そのために勉強したり練習したりして、自分の力量を上げて、徳(アレテー、卓越性)を身につけ、その徳をつかって充実した働きをし、社会に貢献することです。そのようなとき幸福を感じることができます。快楽的幸福が一時的なものなのに対し、社会的幸福は、一生続く幸福となります。
現在は、世界人口80億人を超え、古代哲学の時代から2500年以上の歴史があり、自分が決めた分野の中で優秀な努力家は大勢いるので、自分が卓越した存在になることは簡単ではないかもしれません。
しかし、他人と比べる必要はありません。自分が好きなことを見つけ、好きなことに対して、自分の力量を上げる時間をもつようにしましょう。人には怠け心がありますから、自分が好きなことであっても、そのための勉強や練習は簡単ではない日もあるかもしれません。これは、自分の好きなことを仕事にするためと思って、徳(アレテー)を身につけた自分を想像し、毎日の勉強を習慣にするほかありません。その先には、まちがいなく大きな幸せが待っています。
このような徳(アレテー)を得るための時間は「投資の時間」であり、そのために使うお金や時間は、投資ということになります。
そして、社会の役割を果たしていくことが、「役割の時間」です。自分の力量が高ければ、役割を効率よくこなせるようになります。力量を上げることは重要です。
哲学者にとっての真理の追求(観想的幸福)
アリストテレスは、人間の徳(アレテー)は考えることであり、考えることによって真理を見出すことが人として最も幸福であると考えました。真理を見出すのは、凡人には得難い幸福なのかもしれません。
例えば、もし数学的難問などを解き、真理を見出すことができたときには、相当な幸福感が得られるのかもしれません。人生を賭けて真理を探すようなことが見つかるだけでも幸福なのかもしれません。
哲学者の徳(アレテー)は真理の追求です。これは、自らのやっていることが最も重要と考える哲学者自信の自己肯定感の強さなのかもしれません。自己肯定感は重要です。学者はさすがだと改めて尊敬します。
哲学者が観想的幸福をとても大切に考えていることを、私たちは凡人に当てはめると、自分の日々やっていることを最も大切だとする自己肯定感こそが、最も幸福なことだと考えても良いのかもしれません。
好きなことを見つけることができることが幸福
自分が好きなことを見つけて楽しみを得て、自分の好きなことの徳(アレテー)を身につけて、徳(アレテー)を活かして社会に貢献する。
そう考えると、好きなことを見つけ、そのことを突き詰めることこそが、自分の幸福なのだと思います。
好きなことを見つけるには、行動することが重要です。
たくさん本を読んだり、いろいろなことを経験して、時間を忘れるほどのことが見つかること。これこそが幸福を得るための一番大切なことなのだと思います。
参考
ニコマコス倫理学
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