九州国立博物館に行きました。火焔土器を見たくなって。
アフリカの村に伝わる火焔土器の意味とは
ペンキ画家SHOGENさんが、ペンキ画を学びにアフリカ・タンザニアのブンジュ村へ行った時の話です。幸せになるための心を村中で育んでいるブンジュ村の村長は、幸せになるための知恵を日本人から教わったというのです。村長はそのことをシャーマン(祈祷師)だったおじいさんから教えてもらったのだそうです。そのシャーマンがいうには、日本人は竪穴式住居に住んでいて、しゃがんだら蟻の目線になり、女性の土器をたくさん作っていたのだそうです。その時代は今から1万年から1万5千年前で、愛と平和で溢れていた時代だったそうです。それは縄文時代だと思われます。ブンジュ村は、縄文人から、幸せになる生き方をおしえてもらったのだそうです。
村長は火焔土器についてSHOGENさんに語ったこともあるそうです。村長によると、土器の開口部は女性が集まって楽しく井戸端会議をしている様子を表していて、火焔土器の炎の部分は、それを温かく守る男性を表しているのだそうです。縄文時代は、女性が大切にされるとても素晴らしい時代だったようです。
SHOGEN 【火焔型土器】日本人のルーツである謎多き縄文人と女性の関係を徹底公開
その話を、SHOGENさんとひすいこたろうさんの共著「今日、誰のために生きる」で知り、また、SHOGENさんのYoutubeを見ていると、縄文人の幸福感を感じられると思い、火焔土器を見に九州国立博物館に行きました。
火焔土器の形の意味がわかれば、幸せになれるのでは・・・
火焔土器は一見実用性がない芸術作品のように思えますが、実際に煮炊きに使った吹きこぼれの跡が残っているそうです。縄文人はどんぐりや栗などの木の実や、ユリ根などを食べていたと考えられています。食べ物のアクを抜いて、食べやすくして食べていたのかなあ。かっこいい炎の装飾つきの鍋で料理した方が多分盛り上がると思います。だから、あったほうが楽しく美味しく食事ができたのかなあ。
ブンジュ村の村長によると、日本人はムシノシラセを感じることができ、虫と会話できる民族だったそうです。私も自然に意識を向けて、虫の声を聞くことができるようになった時、炎の意味がわかるようになるかもしれません。いつになるかわからないけど火焔土器の形の秘密に気付けるようになると、きっと幸せになれるのだと思います。その時のことを楽しみにして、縄文人の気持ちがわかるような幸せな人になりたいと思います。
一つの目標ができたので、今日はMyHappyをつけたいと思います。
今日2024/10/26のマイハッピー:火焔土器を見て、縄文人の気持ちに少しだけ近づけた
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